今、シンハラ語を勉強している。
今日は、道を聞かれた時の説明の仕方を習いました。
ふと思い出す。
約1年前に行ったタイ一人旅。
タイ語で知っていたのは
・サワディーカー(こんにちは)
・カップンカー(ありがとう)
・アロイ!(おいしい)
の3戦士。
当然、この3語では生き延びられず、英語を使いました。
ホステル、駅、観光地では英語が通じますが、英語を話さない方もいて苦労した…
思い出すシーンは、アユタヤからバンコクへの帰るとき。
乗り合いバスワゴン車みたいながあったのでそれで帰ることにしました。
しかし、そのバス乗り場がわからない。
それっぽい場所に着いても、バンコク行きがわからない。
だから聞いてみました。
私:"Excuse me. Could you tell me which bus is going to Bangkok?"
おっさん:???
私:"Where is the bus to Bangkok?"
おっさん:???
私:"I WANT TO GO TO BANGKOK!"
おっさん:#$%&'U&'$'$%'#%!!(タイ語で何かを話しながらバスを指さす)
気づいたこと。
生きるために必要な言語って本当に簡単・シンプルなものでいいんだろうな。
「どこどこへ行きたい」
「これが欲しい」
などの一言で生活できるのではないだろうか。
シンハラ語でもう言える!
"මම හෝටලයට යන්න ඕනෑ." ホテルに行きたいです。
"මේක ඕනෑ." これが欲しいです。
私はスリランカで間違いなく生き延びれる。
問題は、相互理解のためのコミュニケーション、仕事をするには全く足りない。
「今、シンハラ語を勉強している」
これは間違いではないが、正しくもない。
言語はコミュニケーションをとるうえでのツールの一つでしかない。
ただし、そのパワーは計り知れない。
共通言語がお互いに流暢であればあるほど、速く、深くコミュニケーションをとることができる。
たった今、改めて目標を立ててみ
る。
「スリランカに住む日本語や英語を話さない人とコミュニケーションをとるために、シンハラ語を勉強します!!」