Hamuccoの外部記憶装置

日々のいろいろな出来事、思考、学びなどなどくだらないこと搭載中☆

スリランカの伝統仏教と共生の精神

f:id:Hamucco:20230611005751j:image

いただいた本をやっと読むことができました。

ちなみにこの本は今のところ売っていません、おそらく。

 

この本を読んで思ったこと、特に「共生」の部分について考えてみます。

 

まず私は2016~18年の2年間、スリランカで生活しました。シンハラ人(スリランカの7割を占める民族集団、主に仏教徒)の地域で生活していたので、ベースの生活はこの本と近いです。この本を読みながら、当時を回想し、懐かしさがまず湧いてきます。

 

この本と私がスリランカに滞在した年代が違うため、若干の時代錯誤はあるかもしれません。

 

さて、この本の中で大岩先生は「共生」について言及されていますが、これは共生を考える際における人々が持ち合わせるマインドの一つとして、興味深いと思いました。

スリランカ伝統仏教には多様性の容認と共生の原理が働いているという点を指摘したい。(中略)…村人の中に仏教教義の知識のない人、誤解している人がいても、他の村人はこれを決して批判しない。そうした人たちは理解できないヒタ(心)の発展段階におり、再生(輪廻)を繰り返せば仏教教義の正しい理解が可能になるから、ことさら非難する必要はないし、容認する。(中略)…一般的に誰かが悪行を働いた場合でも、その行為を厳しく追及することは少ない。なぜなら、悪行を働いた人はいずれ因果応報の報いを受けるのであるから、ことさらに厳しく断じる必要はない、と捉えるからだ。

上座仏教に「共生」の概念があるのかどうかは調べ切れていませんが、日本では、浄土宗の考え方で「共生(ともいき)」があり、過去から未来にわたるつながりと説明されています。「共によりよく生きる」「共なるいのちを生かし合う」という概念のようです。

 

一般的にスリランカ人は、「寛容」「おおらか」と言われたりします。実際住んでみて、もちろん人によって違いはありますが、基本的におおらかな人が多く、細かいことを気にしない「マンペンライ」「ケセラセラ」的な精神があると思います。

 

見方を変えて「共生」を多文化から考えます。

 

共生は、国際社会という文脈の中で、先住民族の権利を取り戻したり、国境を越えて移動する民衆が増えたことにより必要になった社会的な統合の考え方であるようです。それは、多文化主義をもとに思想され、さらにそれを醸成されることが求められているとされています。

 

スリランカは、16~20世紀にかけて、ポルトガルやイギリスの植民地になっていました。そして民族的には、シンハラ(仏教) v.s. タミル(ヒンズー)という長年の構図もあります。地域によってはムスリムもいます。そんな宗教、民族的に多様性のある社会であることから、多文化の土壌が数世紀にわたって存在していることがわかります。

 

一方で、最近読んでいる『共生の社会学』によると、共生とは、さまざまな違いがある社会を認め、その前提をくずさず、まとまりをめざす、「社会のなかの多様性の尊重」と「社会の凝集性の重視」を成り立たせるために、個人は認識を新たに更新すること繰り返すことと説明されています。

 

先に言及したスリランカ伝統仏教の多様性では、仏教をまだ知らないという人を責めるわけではなく、認めることでまとまりを維持しているのではないでしょうか。一方で、仏教をまだ理解していないかわいそうな人を認めることが施しなのかもしれません。

どちらにしろ、一定の価値観で他者を認めていることから、共生がその状況では成り立っています。

 

しかしスリランカは、国として「まとまりをめざす」という共生からは程遠いでしょう。民族、宗教、地域、ジェンダーセクシュアリティ、病気・障害など差異による排除や格差が存在しています。

 

「共生」または「共生社会」は、単に理想の状況であるという指摘もあります。また人為的な共生社会は様々な「非共生」な状況を生み出すことも危惧されています。「共生」というなんだかいい感じの言葉で社会を動かそうとしている感もぬぐえません。

 

『共生の社会学』の著者である岡本先生は、「共生」をめざすことで生まれる「非共生」の状況も検討して、「共生」は常に更新されていくものとしています。

 

民主主義は一番よい政治システムか、という話はよくありますが、現段階では「よくないけど他よりマシ」というぐらいです。それと同様に、共生社会をめざすべきかいう問いに対して、私個人は、共生社会をめざしたらマシな社会になるかもしれないと思っています。そのためには、政策レベルでの動きと、個人レベルでの動きが必要です。大岩先生が指摘された、スリランカ伝統仏教の多様性と共生原理は、人それぞれの寛容性を引き出すことにより多様性を認める、個人レベルでできる共生への心持ちの参考になるかもしれません。

 

参考にした本

スリランカ伝統仏教』大岩碩

『共生の社会学』岡本智周

『<共生>から考える』川本隆史

「共生学はなにをめざすか」共生学ジャーナル

 

(リハビリとして長い文章を書こうとしました。惨敗です、でもブログだからいいの、自由だ!笑。2036文字)